2014年12月2日火曜日

人はイメージしたようにしかならない

こんばんは。

昨日から久しぶりにテニスのことを考えています。

(ここ数年はテニスから離れています。)

私のテニス遍歴をお話したいと思います。


私が幼稚園くらいの時、母が趣味で硬式テニスをしていました。

そのため、練習についていっている間にいつの間にか

壁打ちのあたりで勝手にラケットとボールで遊んでいました。

ラケットは重かったので人差し指を立てて持っていたような・・・。

小学生になった頃から、団地の前の道でゴム付のテニスをしていました。

ボールは硬式のものです。父の会社の近くのバッティングセンターに

オートテニスといって、出てくるボールのコースとスピードが選べるものがありました。

それで遊ぶのが大好きで、よく通いました。

小3から、友達に誘われて体育館の軟式庭球教室に通い始めました。

コーチがローボレーで返すラリーがとても楽しかった。

ボレーやスマッシュも問題なくこなせました。

でもまだコートにボールを入れるという概念がありませんでした。

小5になった時にその教室がコーチの都合でなくなりました。

小6で別のコーチが同じ体育館でジュニアのテニスクラブをしていると聞き、入りました。

この時初めてスポ少の試合に出ます。

しかし、ルールもよくわからないままで一度も勝たずに負けました。


中学校になって、顧問の先生がランニング好きで、

おそらく多すぎる新入生をふるい落とす目的もあったのか、

よく走りました。負けず嫌いなので意地でも先生について走ります。

(前衛と後衛で完全に練習が分かれていたので、

ここで私は完全にボレーやスマッシュができなくなります)

試合での目標は堺市でベスト8くらいで満足でした。

(みんながそうだったから)

一度だけ、団体戦で府大会に出場できました。快挙でした。

(もちろんすぐ負けました)

引退前の総体では堺市で2位になれました。


その中学校ではめずらしくスポーツ推薦でペアで私学に進学しました。

(親の反対を押し切って。公立で硬式テニスをする予定でしたから。)

ペアでしたので引退後から高校に入学するまで二人でトレーニングに励みました。

そのおかげで、高校でのトレーニングにも耐えることができました。

プレーを見た高校の監督は驚きました。フォアは打てるのにバックが全く打てない(笑)

中学まではなんでもフォアにまわり込んでなんとかしてきたわけです。

打点を上げるのにもとても苦労しました。ツイストなんてできません。

(私は部内で不器用で有名になりました。)

当初その高校は府下で団体ベスト8くらいの学校でした。

一年生の時に上手な三年生と引退試合で組ませていただきました。

「近畿には行きたいな」と先輩。

近畿?!私には想像もつかない世界でした。

府大会は中学で経験があったのでそこまでは行ったのですが、

緊張のあまりに府大会ですぐ負けてしまいました。

(たいへん申し訳ない・・・)

しかし1,2年生だけになった頃から先生の気合が変わってきます。

目指したのはインターハイ。

(へぇ~、インターハイにいけるもんなんやぁ)

インターハイを目指し始めると、近畿大会には団体でも順調に進むようになりました。

2年生の時に初めて個人戦(ダブルス)でインターハイ出場を達成します。(快挙でした)

3年生の時にはついに団体戦でもインターハイを目指します。

決勝で1-2で負けましたが、勝ってもおかしくない試合でした。

個人戦では2ペアインターハイに出場達成。


お気付きの方もいらっしゃるでしょう。

「インターハイ出場」を目指していたので、インターハイでは2年とも勝てませんでした。

しかし、最後のインターハイで監督からこんな言葉が。

「勝たしてやれんくてすまんな。お前なんでうちの学校きたんや。

今回は3位には入るって言われてたんやぞ。」

(え~!!!はよゆって~~!!そんな勝てるなんて思っても見なかった!)



それからは「お前そんなことしてたら国体にも出られへんぞ!」

って言われるようになって、

(あ、国体に出れるもんなん?!)

となり、国体出場。

この時は他校のチームメイトのおかげで3位入賞。



そして短大でもテニスをしようと進学。

関西一部リーグで5位くらいの大学でした。

意識は全国まで広がっていたので、1回生の時に2回生の先輩と組ませていただいて

インカレでベスト8まで進みました。(まだ勝てたかも知れない・・・)

(知らぬが仏で、強い方々と当たっていたみたいです)

入学まで高校でトレーニングを続けていたので「貯金」があって、

おそらく私のテニスのピークはここでした。

団体戦では3位くらいになるようになりました。

先輩が短大生だったので卒業されてからは後輩とペアを組みます。

後輩たちはプレッシャーを感じながらも一生懸命ついてきてくれました。

短大から大学に編入。(これも親との約束をやぶる形になりました)

4回生になった時、大学のほうもスポーツ推薦がとれるようになり、

短大・大学あわせて、とても上手で能力の高い後輩たちが一気に入部。

入学前の合宿での会話を聞いていると、

みんな全小、全中で当たったとかどうとかって。

(え~!みんな小学生中学生で全国行ってたん?!)

そこで、「日本一になりたいな!」って。

(え~!日本一?!)

カルチャーショックでした。関西でやっと3位の学校でしたから。

その子たちのおかげで、関西リーグでもさらに上位をあらそうようになり、

インカレでは団体でもそこそこ勝ちすすむようになりました。

(私の卒業後2年くらいで、彼女たちは見事リーグ優勝を飾りました)



卒業後実業団に入った私。

仕事とテニスの両立に戸惑いながらの日々。

日本リーグではあるが、ほぼ毎年入れ替え戦状態。

大学までは攻めるテニスをしてきたつもりが、

いつの間にか粘りのテニスになっていっていました。

(でもどうしてもダブル後衛だけはできませんでした)

結婚後も一年間プレーさせていただきました。

(それでも恵まれた環境でできるテニスの有難さをちゃんとわかっていませんでした。)

引退後、大学の時に「日本一になる」って言ってた後輩が、

遅咲き(?!)ながら国体(団体)優勝!

さらには彼女自身の引退後に皇后杯(個人)優勝!

お見事。


長くなりましたが、何が言いたいかというと、

「人はイメージしたようにしかならない」のです。

そうできると信じてそのための努力をすれば、叶うのです。

自分がどの程度の人間か。

私の場合はよくも悪くも監督に言われることを信じる人間だった。

逆に言われもしないことは想像もできなかった。

だから正直言うと日本一は目指せなかった。

当然日本一にはなれなかった。


もちろん、誰でも日本一を目指せばなれるというわけではありません。

ソフトテニスで言うとたった2人(ダブルスの場合)なのですから。

だけど、望みもしないことが叶う、ということはないと思うのです。

まずはイメージすること。

みんながインターハイに出ている学校では、

当然のようにみんながインターハイ出場のその先を目指しているのです。

意識次第で変わることがたくさんあります。

自信を持つ根拠はなくてもいいんです。


私が一番になれなかったからこそわかること。


それから、今頑張ってる若い子達にいいたいこと。

(ほんとはママさん達にもいいたいこと)


ペア(パートナー・仲間・友達)を大切にすれば、

テニス(人生)は100倍楽しく幸せなものになる。


引退してから、やっとテニスへの向き合い方が変わってきて、

楽しくなければテニスする意味がないって思うようになりました。

だから、気の合う人とペアを組んでもらって、ふたりで頑張るように

なったら、なにげないことで感動できる日々がそこにありました。

テニスのレベルとか、戦歴とか、周りは勝手なことを言うけれど、

そんなのは関係ないんです。

ただひとりの人間として心で向き合えたら、すごく楽しくて、

有意義で、感動できるスポーツなんです。

(それを教えてくれたペアに感謝です)


またテニスをする時がくるのかどうかわからないけど、

その時はやっぱり人を大切にプレーしたい。



そして今、テニスも過去も関係なく出会うことができた

友達や、仲間、お客様をもっともっと大切にして、

幸せを噛み締めながら生きて行きたい。




決してかっこいいテニス人生ではないけれど、

今回純粋な気持ちでサインを求めてくれた子供さんに感謝です。

一番じゃないとダメって思ってて、コンプレックスだったけど、

こうして振り返り、学びを得て前を向くことができました。

(フェイスブックで嬉しいコメントをくださったみなさん、ありがとうございます)



























4 件のコメント:

  1. 色々、昔のこと思い出したよ~~!
    やいなら、もっとインターハイでも勝てたと思うのに申し訳ない(+_+)
    でも、やいとペア組めて前衛に なって良かったと思 う~~!確かにインターハイ出場を目標にしてたから、次の目標を明確に決めないとアカンね。すごい緊張で思うようにも体が動かなかったわ~。
    中学校で実力もない私達が、大阪の決勝で団体戦あそこまでギリギリの試合出来たのは、やいの頑張ってた姿をみんな見て一生懸命練習したからちゃうかな!
    今になったら、もっと上手に出来たかも!?って思うけど、勝たないと!ってガチガチになってた(笑)
    私は高校3年間のテニス生活が一番濃い(笑)なんせ、家族よりみんなと居てる時間の方が長かったし、色々あったし~(笑)
    でも、いい思い出やしいい経験☆
    また、みんなでテニスしましょう(^з^)-☆

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  2. かず、コメントありがとう!
    インターハイで勝てなかったのはふたりの実力と意識不足やったね(^-^;もっと欲を出していったらよかったのかも(笑)高校で途中からペアを組むために前衛になってくれたり、いろいろあったけど、それでもペア組みたくないって言わずに頑張ってくれて感謝してるよ。まわりのこと考える余裕なくて必死にやってたからなぁ。みんなもいろいろ思うところはあったやろうけど、いい仲間でいてくれて有難いわぁ。ほんとに濃い3年間だった!ありがと~(*^-^*)

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  3. いやいや、やいこそペア組んでくれてありがとう♪
    もう少し広い視野で試合出来てたら、体も動けてたかも(笑)ガチガチやもんな(笑)ゴメンね(((^_^;)
    でも、みんなと3年間頑張れて良かったわ~!!
    ありがとう♪

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    1. かず、あの頃はみんなあれで精一杯やったと思うわ(笑)でも精一杯頑張ったっていうのは最高の思い出!だからこそ今でも繋がっていられるんやね(*^-^*)ありがと~♪

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